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東京地方裁判所 平成4年(ワ)4522号 判決 1995年6月12日

原告

田部井四雄

原告

清治満子

原告

斎藤圭三

原告

湯浅優壮

右原告ら訴訟代理人弁護士

山崎馨

秋山清人

被告

吉野株式会社

右代表者代表取締役

吉野栄一

右訴訟代理人弁護士

橋場隆志

主文

一  被告は、原告斎藤圭三に対し金五七万四〇〇〇円、同湯浅優壮に対し金二二五万円及び右各金員に対する平成四年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告田部井四雄及び同清治満子の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告田部井四雄及び同清治満子と被告間に生じた分は右原告らの負担とし、原告斎藤圭三及び同湯浅優壮と被告間に生じた分は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文一項同旨

2  被告は、原告田部井四雄に対し金一八一万円、同清治満子に対し金三二三万円及び右各金員に対する平成四年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らはいずれももと被告会社に雇用され、東京支店において勤務していたものであり、その勤続年数は次のとおりである。

(一) 原告田部井四雄(以下、原告田部井という。)・・九年一一か月

(昭和五三年八月二一日入社、同六三年六月一五日退職)

(二) 原告清治満子(以下、原告満子という。)・・一九年八か月

(昭和四三年一一月入社、同六三年六月一五日退職)

(三) 原告斎藤圭三(以下、原告斎藤という。)・・六年四か月

(昭和五七年四月一日入社、同六三年七月三一日頃退職)

(四) 原告湯浅優壮(以下、原告湯浅という。)・・一一年五か月

(昭和五二年四月一日入社、同六三年八月三一日頃退職)

2  被告会社では、別紙「退職金規程」(以下、本件退職金規程という。)が存在し、同規程は就業規則としての効力を有している。

そうでないとしても、被告会社においては、同規程のとおり退職金を支給する労使慣行が確立していた。

そして、同規程によれば、原告らの退職金額は、次のとおりである。

(一) 原告田部井・・金一八一万円

(退職時の給与月額金三六万八〇〇〇円、乗率四・九一六六、以下各原告について同様とする。)

(二) 原告満子・・金三二三万円

(金二二万円、一四・六六六六)

(三) 原告斎藤・・金五七万四〇〇〇円

(金二一万五〇〇〇円、二・六六六六)

(四) 原告湯浅・・金二二五万円

(金三五万円、六・四一六六)

3  原告らは、平成四年二月一三日、被告に到達した書面をもって、右退職金の支払を催告したが、被告は、右到達日から相当期間である同月二七日を経過するもこれを支払わない。

4  よって、原告らは、被告に対し、右各退職金及び弁済期の翌日である平成四年二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、原告らがもと被告会社に雇用され、被告東京支店に勤務していたこと、(一)原告田部井の勤続年数(入社及び退職日も)、(二)原告満子の退職日、(三)原告斎藤の入社日については認め、その余は争う。(二)原告満子の入社日は昭和五四年六月一日、(三)原告斎藤の退職日は昭和六三年七月二八日、(四)原告湯浅の入社日は昭和五二年四月一一日、退職日は同六三年八月二〇日である。

2  同2のうち、原告らの退職時の給与月額については認めるが、その余は否認する。被告会社では、北陸工場を除いて就業規則たる退職金規程は存在しないし、退職金支給に関する労使慣行も成立していない。本件退職金規程は、被告会社において、昭和六〇年九月頃、「退職金規程(案)」として作成されたものであるが、結局就業規則として制定されるに至らなかった。

3  同3については、原告主張の書面による催告を受けたことは認める。

三  抗弁

仮に、被告会社において退職金支給に関する労使慣行が成立しているとしても、原告らは、次のように、被告会社と競業関係に立つ訴外芝田株式会社(以下、訴外会社という。)の設立への参画、被告会社得意先との秘密裡の競業取引等、被告会社に対して損害を及ぼすべき重大な背信行為を行い、被告会社を懲戒解雇される等したものであるから、退職金を請求する権利を有しない。

すなわち、原告田部井は、被告会社東京支店において、同支店長であった訴外清治重春(以下、清治支店長という。)に次ぐ重要な地位にあり、また原告満子は、同支店長の妻であり、夫と一体として重要な立場にあったにもかかわらず、訴外会社の設立に積極的に参画し、かつ競業取引に具体的に携わったことから、右原告両名は、昭和六三年六月一五日、被告会社を懲戒解雇された。

原告湯浅(退職時、被告会社千葉営業所長)及び同斎藤も、訴外会社の設立について清治支店長らの考え方に賛同して発起人となり、各金一〇〇万円、五万円を出資し、同支店長や原告田部井らに追随して同人らの懲戒解雇後まもなく退職して、そのまま訴外会社に入社した。

訴外会社の設立の目的が被告会社の先代代表取締役社長であった亡吉野正雄(以下、亡正雄社長という。)を諫めることにあったのであれば、公然と宣言してこそその意味があったはずであるが、訴外会社は、少なくとも昭和六三年六月一五日まで、秘密裡に設立され、被告会社東京支店の目と鼻の先に事務所が開設され、秘密裡に業務が行われていた(仮に右目的があったとしても、競業関係に立つ会社を在職中に設立する正当な理由とはなり得ない。)。訴外会社は、一〇〇〇万円の資本金が現実に準備され、事務所を賃借りして専任の従業員を置き、現実に被告会社の得意先との間で取引を行い、懲戒解雇された日の翌日から清治支店長及び原告田部井及び同満子は、当然のように訴外会社の業務に従事していたのであるから、同社は、決して形だけのものではない。訴外会社は、被告会社東京支店の従業員、得意先、仕入先等の重要な部分を不当に奪取したのであり、その後長期間にわたり被告会社に多大の損害を与え続けている。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。清治支店長は、被告会社の亡正雄社長による不当・不公正な会社運営方針を批判したが容れられなかったため、同社長に反省を促すため、訴外会社の設立に参画した。同訴外会社は、被告会社の運営が公正・妥当なものに立ち返りさえすれば解散される予定であり、被告会社の得意先を奪うことを意図して設立されたものではない。

原告田部井は、被告会社から不当な昇給差別をされる等、出ていけよがしの扱いをされ、自らの被告会社従業員たる地位がいつ奪われるか不安に思わざるを得ない状況にあった。このため、自らを守るためのやむを得ない手段として訴外会社の設立に参加したのであり、それをもって懲戒解雇事由に当たるとすることはできない。

原告満子は、訴外会社の発起人となっているが、これは清治支店長が員数合わせのために同原告の名前を使ったものである。同原告は被告会社を解雇された後にこの事実を知って追認したのであり、解雇時点では知らなかった。同原告は、被告会社の一従業員にすぎなかったのであり、仮に同業他社に少額の出資をしたからといって、懲戒解雇事由に当たることはない。

原告斎藤及び同湯浅も訴外会社設立の際、少額の出資をしたにすぎず、右原告両名が被告会社の一従業員にすぎなかったことからして、同業他社の発起人になったことが懲戒解雇事由に当たるとは解されない。右原告両名は、被告会社が清治支店長だけでなく、原告満子や同田部井までをも追い出し、会社運営の不当・不公正を改めようとしないことに失望して被告会社を自己都合退職したものであり、その後に訴外会社に再就職したからといって、退職金請求を失う原因にはならない。

第三証拠

本件記録中の証拠目録のとおりであるからこれを引用する(略)。

理由

一  請求原因1のうち、原告らがもと被告会社に雇用され、被告東京支店に勤務していたこと、(一)原告田部井の勤続期間(入社及び退職日も)、(二)原告満子の退職日、(三)原告斎藤の入社日、同2のうち、原告らの退職時の給与月額、及び同3について、被告が原告主張の書面による催告を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因1(勤続年数)のその余の事実についてみるに、証拠(<証拠・人証略>)によれば、(二)原告満子の入社日は昭和五四年六月一日、(三)原告斎藤の退職日は昭和六三年七月二八日、(四)原告湯浅の入社日は昭和五二年四月一一日、退職日は同六三年八月二〇日であったと認められる。

原告満子は、同原告の入社日を昭和四三年一一月であると主張し、同原告の尋問結果中にはこれに沿う部分があるが、前掲各証拠に照らし採用できない。かえって、同原告は、亡正雄社長の三女であるが、昭和四三年一〇月、清治重春と結婚し、翌一一月、被告会社東京支店(当時は東京営業所)に着任し、約一年後に支店長となった同人とともに被告会社東京支店の二階に居住し、事務や庶務の仕事に従事し、給与の支払を受けていたが、同四八年五月以降、三人の子供の出産・育児のため一旦被告会社を退職し、同五四年六月から被告会社に再度入社し、給与の支払を受けていたことが認められる。

三  請求原因2の事実(本件退職金支給規程の成立)について判断する。

1  証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  被告会社は、もと亡正雄が経営していた断熱材の卸売りを業とする吉野石綿工業所を昭和四四年一二月に法人化したものであり、大阪市西区に本社を置き、石綿製品、工業用合成ゴム製品、保温保冷資材の製造加工・販売、ガラス繊維製品並びに高温用耐火断熱繊維製品の販売、英国製防しょくテープの販売、防しょく・防水工事の設計・請負・施工等を目的とする資本金二〇〇〇万円の株式会社であり、東京都墨田区(番地等略)に東京支店、石川県羽咋市に北陸工場を有している。

被告会社東京支店の従業員数は約二〇数名であったが、昭和五五年七月、後記のとおり訴外株式会社コーヤ(以下、コーヤという。)の倒産に際し、同社の元従業員約二〇名が同支店に移籍してきた。同支店の下に埼玉営業所、千葉営業所があり、同支店長の清治重春は、被告会社の法人化以来、(常務)取締役の地位にあった。

(二)  被告会社は、従来退職金規程を含め就業規則を制定していなかったが、被告会社の(専務)取締役で、亡正雄社長の二女古池紀久の夫である古池敦彦は、昭和六〇年九月一日頃、退職金規程を作成することを企図し、「退職金規程(案)」を作成し、東京支店の意見を聴取するべく同支店に右規程(案)を送付した。同規程(案)の内容は、別紙の本件退職金規程と同一であるが、同規程(案)は、その後正規に退職金規程として制定されることなく、したがって労働基準監督署にも届け出られることはなかった。

しかし、被告会社では、本社及び東京支店において、その後退職者に対し、本件退職金規程(二条)に基づいて退職金を算定し、在職中、「懲戒その他不都合」(五条)のない限り、右退職金をそのまま支給することとし、ただし、右「懲戒その他不都合」があった場合には、これを若干減額し、あるいは長期にわたる無断欠勤等不都合の事由が甚だしい場合は、全く支給しない取扱いとしており、右のような取扱件数は、原告らの場合を除いても十数件にのぼっていた。

(三)  そして、平成二年に操業を開始した被告会社北陸工場においては、同三年四月一日、正規の就業規則、賃金規程、退職金規程が制定され、従業員の意見を聴いたうえ、同月九日、労働基準監督署に届出られた。

右北陸工場の退職金規程の自己都合による退職の場合の支給基準率は、本件退職金規程の勤続年数別乗率と同一である。

2  右認定事実によれば、被告会社東京支店において、正規の退職金規程が制定されていたということはできないが、当初に案として作成・書面化された本件退職金規程に基づいて退職金を支給する実績が積み重ねられることにより、右支給慣行は既に確立したものとなったと認められ、これが被告会社と原告らの雇用契約の内容となっていたと認めるのが相当である。

3  そこで、本件退職金規程に基づいて原告らの退職金額を算定すると、以下のとおりとなる。

(一)  原告田部井・・金一八一万円

(退職時の給与月額三六万八〇〇〇円、勤続年数九年一一か月(昭和五三年八月二一日入社、同六三年六月一五日退職)の乗率四・九一六)

(二)  原告満子・・金八九万九〇〇〇円

(退職時の給与月額二二万円、勤続年数九年一か月(昭和五四年六月一日入社、同六三年六月一五日退職)の乗率四・〇八三)

(三)  原告斎藤・・金五七万四〇〇〇円

(退職時の給与月額二一万五〇〇〇円、勤続年数六年四か月(昭和五七年四月一日入社、同六三年七月二八日退職)の乗率二・六六六)

(四)  原告湯浅・・金二二五万円

(退職時の給与月額三五万円、勤続年数一一年五か月(昭和五二年四月一一日入社、同六三年八月二〇日退職)の乗率六・四一六)

四  抗弁(退職金不支給事由の存否)について判断する。

1  証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  被告会社は、英国製の防しょくテープ「デンゾー」(同商品の日本総代理店はシュリロ・トレーディング・カンパニー・リミテッド)の日本における二次販売元として出発したが、やがて一次販売元を経て、昭和五五年六月頃、総販売元のコーヤの倒産に伴い、同社に代わって総販売元となり、その結果、特に東京支店の業績が向上した。

(二)  昭和六〇年ないし六二年頃、元コーヤの社員であり、被告会社の防しょく(デンゾー)部門の担当課長であった辻本満が、被告会社の下請工事会社の訴外有限会社埼玉防食の経営を兼ねており、そのため、被告会社の利益が圧縮されるという事態が発覚し、清治支店長は、亡正雄社長に対し、右辻本を懲戒解雇するよう求めた。そして右事態を穏便に処理しようとした同社長と意見の齟齬を生じたが、結局同社長は昭和六二年一一月末日をもって辻本を退職させた。

(三)  亡正雄社長の長男で、現被告会社代表取締役社長である吉野栄一は、昭和六〇年頃、専務取締役に就任していたが、同人と清治支店長は、被告会社東京支店の取引銀行の変更、仕入先の開拓、販売先との取引条件等をめぐって意見が対立した。

(四)  昭和六二年頃、亡正雄社長、同人の妻である吉野ふゆ、前記栄一、亡正雄の四女である吉野利子は、不動産賃貸業を営む吉野興産有限会社を設立し、被告会社の大阪本社を高層ビル化して一部を賃貸し、また倉庫を立体駐車場とした。清治支店長と原告田部井は、亡正雄社長に対し、右事業展開は、被告会社の経営の基礎を危うくするものであると非難した。

(五)  昭和六二年四月頃、被告会社東京支店において、清治支店長の意見に同調する原告田部井、同湯浅らと、防しょく部門の社員らとの間で、昇給差別がなされたとして、清治支店長及び原告田部井らは、亡正雄社長を非難した。

(六)  昭和六三年二月五日、被告会社と同様に、ガラス繊維製品・セラミック繊維製品・高温用耐熱繊維製品の加工・販売、築炉・耐火・保温・保冷工事の請負・施工、防食材の販売・防食工事の施工、石綿製品・保温保冷材料の加工・販売、各種パッキングの製造・販売を目的とし、被告会社東京支店のすぐ近所である東京都墨田区(番地等略)(後に同区<番地等略>に移転)を本店とする訴外芝田株式会社が設立された。

同会社の発起人は、被告東京支店の仕入先である訴外大発工業株式会社の代表取締役であり、清治支店長と懇意な訴外新發田猛(以下、新發田という。)、清治重春、原告田部井、同湯浅、同斎藤、同満子、原告田部井の妻の訴外田部井和子であり、それぞれの引受株式は、順に、八株(四〇万円)、一〇〇株(五〇〇万円)、六〇株(三〇〇万円)、二〇株(一〇〇万円)、一株(五万円)、八株(四〇万円)、一株(五万円)であった。右発起人らにより、昭和六三年一月二七日、訴外会社の定款が作成された。訴外会社が設立に際し発行した株式総数は、二〇〇株(資本金一〇〇〇万円)であり、前記発起人らのほか、前記新發田の妻である新發田慶子が募集により二株(一〇万円)を引き受け、昭和六三年二月二日までに払い込みが完了した。

昭和六三年二月三日に開催された訴外会社の創立総会において、取締役に就任したのは、新發田、清治重春、原告田部井の三名であり、同日開催された取締役会において新發田が代表取締役に選任されたが、実質的には清治重春が訴外会社を経営しており、同年八月三日には、新發田に替わって右清治が代表取締役に就任した。

(七)  訴外会社の営業事務所は、遅くとも昭和六三年一月末には賃借りされており、同会社の設立後、同事務所や被告会社東京支店において、清治支店長の下、事務担当の原告満子や営業担当の同田部井は、被告会社東京支店の事業活動を行う一方、訴外会社の事業活動も行っていた。訴外会社の取扱商品、仕入先、販売先は被告会社のそれとほとんど共通しており、売上高は、訴外会社が売りかけたことが判明しているものだけでも、昭和六三年三月末頃、宇田川パッキング製作所に対し二七万八七五〇円、桐山工業株式会社に対し四七万四五五〇円、有限会社信栄に対し七〇万五五〇〇円、タックエンジニアリングに対し九万六〇二〇円、合計一五五万四八二〇円、同年六月一日頃、タカミツに対し二四万二八〇〇円、大塚商工に対し九六万七八三〇円、ヤマデンに対し一三二万三〇〇〇円、合計一五三万三六三〇円にのぼっている。

昭和六三年六月一日頃、亡正雄社長に、清治支店長らが訴外会社の事業活動を行っていることが発覚し、同年六月一五日、同人は被告会社の臨時取締役会において取締役を解任(懲戒解雇)され、同時に原告満子及び同田部井も被告会社を懲戒解雇された。

清治重春、原告満子及び同田部井は、被告会社を懲戒解雇された後、直ちに訴外会社において、同社の事業活動に専念し、まもなくデンゾーを被告会社に代わって取り扱うようになり、そのため被告会社は多大の利益を逸失した。

(八)  その後、被告会社にとどまっていた原告斎藤は昭和六三年七月二八日に、被告会社千葉営業所長であった原告湯浅は同年八月二〇日に、それぞれ被社(ママ)を自己都合退職し、直ちに訴外会社に就職した。なお、原告湯浅は、同年八月三日には訴外会社の取締役に就任している。

2  前記三・1に認定した事実によれば、被告会社においては、本件退職金規程に基づく退職金支給の慣行とともに、「懲戒その他不都合のかどにより解雇され、または退職したに(ママ)は退職金を支給しない。」(五条)との確立した慣行が成立していたものと認められる。もっとも、右慣行は、従業員の長年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合に退職金を支給しないとの趣旨の限度で有効であると解すべきである。

そこで、これを本件についてみると、前記1に認定した事実によれば、被告会社東京支店長であった清治重春は、亡正雄社長らとの間で、被告会社の経営方針等をめぐって意見が対立し、次第に亡正雄社長らに対し批判的な姿勢を強め、昭和六三年二月五日、あえて被告会社と同業種を営む訴外会社を設立し、その実質的経営者となり、被告会社(東京支店)の仕入先、販売先を奪取する行為に出るに及び、その結果被告会社に対し、多大の利益を失わせたものである。訴外会社の設立・経営は、被告会社に秘密裡になされており、その目的は、亡正雄社長らに発覚しない間に、被告会社(東京支店)の取引先を奪うなどし、清治支店長の経営方針に基づく会社運営を軌道に乗せることにあったと認めるのが相当である。

原告田部井は清治重春の腹心の部下として、また同満子は、同人の妻として、同人とともに積極的に訴外会社の設立・経営に参加し、被告会社に在職していながら訴外会社の事業活動に従事していたものであって、同原告らが被告会社に対してとった行動は極めて背信的というほかはない。したがって、右原告両名について、本件に顕れた有利な情状を考慮しても、長年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があったというべきであり、前記退職金を受給することはできない。

しかしながら、原告斎藤及び同湯浅については、訴外会社の設立に関与してはいるが、被告会社在職中に訴外会社の事業活動を行った形跡は認められず、清治重春らが被告会社を懲戒解雇された昭和六三年六月一五日からしばらく経た後に被告会社を自己都合退職したものであって、右原告両名について、長年の功労を抹消してしまうほどの不信行為があったということはできず、前記退職金受給権を失わないというべきである。

五  結論

以上によれば、原告斎藤の退職金五七万四〇〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である平成四年二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求、及び原告湯浅の同二二五万円及び右同様平成四年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は、いずれも理由があるから認容するが、原告田部井及び同満子の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田肇)

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